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2008年2月20日(水曜日)

企画・企画書のヒント−“なぜ”から考える63−なぜ、カラダから考えるのか?

カテゴリー: - hagiri @ 07時41分53秒

それは“なぜ”なのか、理由がわかることで、見えてくることがある。あたりまえと思っていることでも、“なぜ”当たり前なのかはわからないことがある。そんな“なぜ”を、日常の世界から探し、考えることで、企画や企画書づくりのヒントにしようというのが、このシリーズの趣旨。
しかし、この、“なぜ”のその探究には、著者なりの主観や直観、推測、憶測、感覚、本能、そして何よりも企画マンとしての資質が含まれている。なので、読者の方は、ここに書かれていることを簡単に信じないで、自分なりにとらえ、解釈、思考、分析してから、自分の意見として採用するように。

●なぜ、カラダから考えるのか?

カラダは、人の簡単さと複雑さの問題を証明しているからである。

<見方>
人は簡単、ととらえるべきだろうか? それとも、人は難しい、と考えるか? 往々にして、どっちであるかと考えがちである。本当は、そもそも二者択一として成立する問いではないのだろう。私の答えは、簡単であり、難しいである。

ビジネスを考えても、それはいえる。ビジネスとは、だれかのニーズやウオンツに対応した商品やサービスを提供することである。簡単である。しかし、実際に、ニーズやウオンツに対応した商品やサービスを提供することは難しい。これは、思うことはやすく、実践は難しいのとは、また違う。

実践する中で、同じことを持続して行ったり、1つの何かが見えると、うまく回り始めることがある。そうすると、実践は簡単になってしまうからである。また、簡単に考えることが難しいことも多い。いろいろな前提や条件が重なると、そうは簡単にとらえられなくなるからである。

このような簡単さと難しさの入り組んだ構造こそが、人であるととらえてみる。そもそも、人体の構造がそうなのである。

人とは、基本的には、考えることと動くことである。簡単である。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、それを行う人体の構造は、複雑である。例えば、見方によって中心が異なる。骨格的に見れば、背骨が中心であり、血液的に見れば、心臓が中心であり、頭脳的に見れば、脳がその中心であろう。この3つのうち、どれが一番重要であるかなどと問うことは意味がないし、手や足などの器官が重要ではない、ということも意味がない。それぞれが、異なる重要さが集まるからこそ、考えることと動くことができる。

この人体を基準にして、人の価値観を考えることもできる。背骨とは「どんな人になるか」であり、心臓は「大切にしたいこと」であり、脳は「どんなことをやるか」である。これらを、うまく組み合わせることは、簡単なことでもあり、難しいことでもある。


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