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2008年1月25日(金曜日)

企画・企画書のヒント−“なぜ”から考える58−なぜ、罰が作文なのか?

カテゴリー: - hagiri @ 07時44分43秒

それは“なぜ”なのか、理由がわかることで、見えてくることがある。あたりまえと思っていることでも、“なぜ”当たり前なのかはわからないことがある。そんな“なぜ”を、日常の世界から探し、考えることで、企画や企画書づくりのヒントにしようというのが、このシリーズの趣旨。
しかし、この、“なぜ”のその探究には、著者なりの主観や直観、推測、憶測、感覚、本能、そして何よりも企画マンとしての資質が含まれている。なので、読者の方は、ここに書かれていることを簡単に信じないで、自分なりにとらえ、解釈、思考、分析してから、自分の意見として採用するように。

●なぜ、罰が作文なのか?

作文は、人を育てるという大切なことがわかっていないからである。

<見方>
ワタミ渡邉美樹氏の著書『もう、国には頼らない。経営力が社会を変える!』は、とてもすばらしく、ビジネスマン、公務員はもちろん、学生も主婦も、日本人も含めすべての人類におすすめしたい本である。

しかし、1つだけ反論したいところがある。渡邉氏が経営する学校で「この学校では、遅刻をしたら反省文を原稿用紙10枚書かせます」というところである。原稿用紙10枚といえば、400字×10枚、つまり4,000字である。遅刻した理由には、寝坊した、夜更かしした、というぐらいしかないだろう。そのようなことを4,000字も書けるわけがない。書いても意味がない。私のような、ひねくれものならば、書ける、というか、書いてしまうだろうが。

この書ける内容があるかどうかという問題よりも、反省させる方法が作文ということのほうが大きい問題である。なぜ、長文を書かせる作文が反省なのか? そこには、反省させるにはつらいことをさせる必要があり、辛いことは作文をさせること、それも長文を書かせることだという認識がある。

遅刻は悪いことだ。しかし、反省のために長文を書かされた人は、作文嫌いになりやすい。こういう作文はつらい。それに加えて長文を生む辛さが身にしみる。作文を反省行為としてやらせることが何を生むか、そのことを考えないといけない。

自分の考えを文章にする、他人にわかってもらうように工夫して書く、このことは決して辛いことではない。むしろ、伝える、伝わることの楽しさ、喜びを生むものなのである。これこそが、10代の時期には大切ではないのか。こうやって表現力、創造力を磨く。作文行為は、人を育てるのである。

社会人ならともかく、高校生に反省してもらうのに、作文という手法を使うこと自体私は反対である。もし、使うとしても4,000字もいらない。4,000字には、意味がない。自分が何を反省しているのか、を明確に書かせればそれで済む。

同様な行為に、罰として走らせるということがある。だから、みんな走ることがキライになる。


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