『ザ・サーチ−グーグルが世界を変えた』ジョン・バッテル著を読む
この本は、グーグルという会社の
歴史、考え方、経営などについて、
実際の経営者などの取材を通して
細かく書いている部分が7割、
そして、タイトルにもなっている、
「サーチ」、つまり検索についての考察が3割、
といったところだろうか?
資本主義の歴史上、
類をみない驚異的な成長をとげた
グーグルに関する興味はつきない。
しかし、この本を読むと、
そういったグーグルを生み出した、
ビジネスの対象でもあるWeb検索というものと、
Webを抜きにしても検索という行為そのものがもつ意味には、
とても奥深いものがあるという知的な関心を引き起こされる。
それは、例えば、おいしいものを食べたいから、
おもしろいことをしたいからという通常的な思いに発して、
検索エンジンでふさわしい言葉でWeb検索するよりも、
もっと根源的なところから考えたほうがいいかもしれないものだ。
それは、例えば、
母の胎内から生まれ落ちたときに、
母という存在やおっぱいを探すであろう行為や、
いくばくかの経験や知識を獲得した青年期に、
自分とは何ぞやと考え、自分らしさを探すという行為など、
人は基本的になにものかを探すものである、
という存在論との関連性の元にである。
こういったことを考えると、
検索する=探すという行為は、話すとか見るとかいう行為より、
もっと根源的な行為ではないかと思うのである。
ただ、根源的な行為であっても、
Web以前では、具体的な言葉に
すべて置き換えることはなかった。
それが、Webの出現によって、
あらゆるコトやモノを自分の感性に従って
1つの単語に凝縮させるという思考回路が生まれ、
実際、検索できるようになり、
その検索対象となる「情報」は、
加速度的に増加するばかりになっている。
その情報が、グーグルなどの検索エンジンが持っている、
ウン十万というサーバーの中にある。
このときに、グーグルは、
人の探すという行為の本質に対して、
どこまで対応できるのだろうか?
グーグルは、あくまでも
テクノロジーの会社であるが、
そこまでのことを考えているのであろうか?
自分探しをしている人は、
グーグルの検索窓を使って、
何かを検索するだろうか?
検索するとすれば、
なんと言う言葉を入力するのだろうか?
★4つ ★★★★☆
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