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2006年6月5日(月曜日)

ブランコは、足でこぐのか?

カテゴリー: - hagiri @ 07時34分23秒

ブランコは、前に進むとき、
足を伸ばすことで、
後ろにいくときに、
足をひっこめることなのであろうか?

近くの小学校の校庭で、
私が鉄棒を使って軽い筋トレをしていると、
その脇のブランコで
3歳ぐらいの子どもに、
お父さんがそう教えている。

前に行くときに「足を伸ばして〜」。

確かに、ブランコに乗る動作は
パッと見るとそうである。

でも、この言葉通りのことをいくらやっても
子どもは、ブランコをこげるようにはならない。

つまり、ブランコをこぐというのは、
足の動作の問題だけでないからだ。

ブランコをこぐには、
手も使えば、肩も使う、
腰も使うし、背中の筋肉も使う。
カラダ全体を使うのだ。

お父さんは、こんなことはわかっているのだろうが、
お父さんは、教え方が間違っているのである。

しかし、子どもは、この言葉の信憑性とは別に、
ブランコの乗り方を覚えていく。

自分で、ブランコの乗り方を、
ブランコに乗ることで覚えていくからだ。

かくして、お父さんは、
自分が間違った教え方をしていたことを
永久に知ることはない。

子どもがブランコに乗れるようになったのは、
自分の教え方がよかったからであると、
逆にそう思ってしまうだろう。

ささいなことかもしれないが、
このすれ違いは重要である。

ここでは、実は2つの大きなことが起こっている。

まず、お父さんのものごとの捉え方である。

お父さんは、
ブランコに乗るということを単純化しすぎている。

ブランコに乗るということは、
ブランコを操ることではなく、
自らのカラダを振り子現象のなかにおくことの
気持ちよさにある。

そういった本質をとらえるのではなく、
ブランコにうまく乗ることを教えている。

これは、処世術なんである。

処世術から入ると、
モノゴトの魅力がなくなってしまうのである。

子どもに処世術を教えてはいけない。

教えるとしたらブランコの楽しさである。

あと親子関係の問題が早くも起こっている。

親は、間違った教え方を平気でしてしまう、
ということだ。

でも、子どもは、間違ったことに気付くこともあれば、
内容によっては、気付かないこともある。

そして、子どもが気付いたときに、
親子できちんとコミュニケーションがとれるかどうか、
ということが大きな問題になる。

こういったことが、
親子関係のコミュニケーションにおいて、
頻繁に起こっている。

コミュニケーションがとれる親子関係ならよい。

しかし、このコミュニケーションができずに、
その状態が続き、ある限界を超えたときに、
今起こっているような事件に発展する可能性がでてくる。

親子間コミュニケーションは難しいのである。

しかし、あきらめてはいけない。

そこで求められるのは、
きちんとコミュニケーションしようとする、
態度と行動なのである。

この「きちんと」が、難しいのであるが。


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