企画・企画書のヒント−“なぜ”から考える96−なぜ、本屋で本を探すのは面倒なのか?
それは“なぜ”なのか、理由がわかることで、見えてくることがある。あたりまえと思っていることでも、“なぜ”当たり前なのかはわからないことがある。そんな“なぜ”を、日常の世界から探し、考えることで、企画や企画書づくりのヒントにしようというのが、このシリーズの趣旨。
しかし、この、“なぜ”のその探究には、著者なりの主観や直観、推測、憶測、感覚、本能、そして何よりも企画マンとしての資質が含まれている。なので、読者の方は、ここに書かれていることを簡単に信じないで、自分なりにとらえ、解釈、思考、分析してから、自分の意見として採用するように。
●なぜ、本屋で本を探すのは面倒なのか?
本屋は、出会いの場から、目的の本を探す場所になってしまったからである。
<見方>
大学受験のとき、群馬から東京にでてきた私が、何が一番楽しみだったかといえば、神田の古本屋街に行くことだった。実際、本屋が並ぶ街は、それだけで圧巻だった。今はどこの本屋かなどわからないが、本棚で仕切られた細い通路の両側に、本が天井まで積み上げられ、通り抜けた奥に2階に昇る階段がある、迷路のようなその空間は、まさに本という迷路の世界にふさわしいものだった。
神田の古本屋でなくても、いろいろな図書館に行くのも好きだった。新しい街にいくと、図書館に行ったものだ。かつての図書館は、いまほど新しくなく、古く、なんとなく湿った感じがあった。そこにある本は、時間を超え、いろいろな人々の意識の間を行きかっていたのである。
本屋で一番行ったのは、池袋のLIBROである。詩のコーナーがあったり、アート関係の本が充実していた。分厚く、値段が高い本がたくさんあって、ペラペラめくって見たものだ。
本屋にしろ、図書館にしろ、研究室にしろ、個人の本棚にしろ、本が集まる場所というのは、本との出会いがある。なんとなく本を見ているだけで、興味をひかれ、そして、これはというような出会いや目から鱗の体験が、何回あったことだろう。こんな本、ほかのだれも知らないだろうなんて思うと愉快になったりすることもある。
本との出会いというのは、いろいろな本の中で語られているし、小説のテーマに深く影響することもある。例えば、最近読んだ中では、田口ランディ氏の『被爆のマリア』がそうだった。
最近でも、週に数回は本のあるところに行くが、それでも、かつてほど行かなくなったようだ。年齢的なものはあるだろうが、最近、本屋で、本を探すという行為が面倒になったような気がする。
それは、いつも、本は検索して探しているからである。最適なキーワードとその組み合わせで、アマゾンや図書館のサイトで探す。そうすると、一発で、探している本が見つかる。どんな本があるかわかるから、本屋に行って、その本を探すことになる。しかし、本屋のスペースは限られているから、多くの場合見つからないのである。こうして、購入するのさえ、ネットからになってしまう。
本屋や図書館の在り方は、インターネットによって変わってしまった。今は、本屋や図書館は、目的の本を探す場所になってしまった。かつての、出会いの要素はあるものの、少なくなってしまったのである。
1年に出版される本は、約8万タイトルである。しかし、1人が1年に読めるのは、せいぜい数百冊。本の虫だとして1日2冊年間800冊読めたとしても、1%にすぎない。だから、本というのは、そもそも巡り合わせというか、出会いなのである。インターネットによって、薄められてしまった出会いの要素だが、自分なりの出会いの仕方を考えておくほうがよい。
| ツイート |
|
企画・企画書のヒント−“なぜ”から考える97−なぜ、オープンソースはすごいのか? >>
29 queries. 0.040 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress








