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2007年1月28日(日曜日)

『彼岸先生』島田雅彦著を読む

カテゴリー: - hagiri @ 09時47分27秒

小説家である「彼岸先生」は、
主人公であるぼく(菊人)が住んでいる場所から、
多摩川をはさんだ、彼岸に住んでいることから、
ぼくがつけた、ぼくだけの呼び方である。

先生の前につけた「彼岸」は、もちろん、
この小説全体の比喩になっている。

まず、19歳の大学生のぼくにとって、
小説家である先生存在そのものが「彼岸」である。

ぼくは、その生態に、
とても興味を持っている。

しかし、ぼくは小説家になりたいわけではない。

先生とぼくは似ているところがあったとしても、
先生=彼岸に興味があるだけだ。

先生自体も、
嘘付きのプロとして、
先生の中で「彼岸」に興味を持っている。

先生は、海外に出たり、
変な人たちと交流したり、
たくさんの女性と戯れることで、
「彼岸」を探索する。

それだけでは足らず
ついには発狂という彼岸にいってしまうのだ。

発狂することを予期していた先生は、
ぼくに、日記を送ってくるが、
その内容も、ぼくにはわからず、
先生の日記自体も「彼岸」となる。

しかし、実は発狂自体も、
先生のことだから、ウソかもしれないのだ。

それを確かめる術はないので、
発狂行為自体も彼岸となる。

精神病院では、先生さえも恐れる
先生の彼岸にいる天才棋士がいたが、
本当に、三途の川を渡って彼岸に行ってしまった。

そうした中で、
彼岸でないものは、ぼく自身であり、
だから、そのぼくはこちら岸を取材する
新聞記者になろうとする。

このとき、現実を伝える新聞が
こちら岸であるのに対して、
小説という世界そのものが、
「彼岸」となっていることがわかる。

小説の最後では、
先生の恋人であった女性から
彼岸先生という宛名で先生に手紙が送られる。

そこで、小説では明らかにされていない
最後のトリックが、あきらかになる。

先生のことを彼岸先生とよべるのは、
主人公しかなく、
主人公が恋人を装って送った手紙であったのだ。

これは、主人公であるぼくは、
新聞記者というこちら側の存在から、
自らを他者におきかえることが可能な
小説という世界に行ってしまうことを意味していた。

このトリックは、文庫版の解説で、
蓮実重彦があかしている。

まだまだ、彼岸はある。

19歳のロシア語を学ぶぼくは、
昔の著者でもあり、
37歳の先生は、彼岸にきてしまった今の著者である。

作品としてのこの小説に対する彼岸には、
夏目漱石の「こころ」がある。

この幾重にもはりめぐらされた
彼岸とこちら岸の構造の中で、
ときには、彼岸とこちら岸を
身軽に行き来しているというのが、
この小説の特徴だと思う。

その中でも、小説という世界そのものが、
最大の彼岸であったのである。

若乃花が、相撲を引退して、
ちゃんこ鍋屋さんでビジネスを行うように、
小説世界に行った人は、
こちら側のビジネス世界にはこようとしない。

それは、こないのか、
これないのかはわからない。

彼岸にいってしまうと、
帰ってこれないのかもしれない。

小説の世界が魅力的だからか、
それ以外の理由なのかもわからない・・・

こうした小説の世界が提示される中で、
語られる、使われる言葉が、秀逸である。

繊細で傲慢な人間関係を繰り広げる、
登場人物と著者が発する言葉には、
人を立ち止まったり、
驚かせたりする何かがある。

ときには、
さりげなく通り過ぎたり、
聞こえなかったふりをしたほうがよい、
言葉もあったりする。

こんな言葉たちは、
「天空の城ラピュタ」で、
地底にあった飛行石が、
天空に輝く星のように見えるが、
それに似ているかもしれない。

その共通点は、地底で輝くということだ。

決して、夜空ではない。

それが、この小説の輝きの正体である。

このなんともいえない魅力的な小説世界。

そこには、行きたいのか、
行きたくないのか、
義務もないのに、
自分で選択肢を用意してしまうものがある。

先週の日経新聞で、
詩人の谷川俊太郎が3回離婚した話が載っていたが、
この話とも関連してそうだ。

だが、20代の頃とは違って、
40歳をすぎると、
いろいろと世界の見方が変わってくる。

ビジネスと小説とジョギングの境目がなくなり、
いや、むしろ相乗効果を発揮する感覚があって、
彼岸をのぞく余裕が出てくる。

この本は、たまに小説を読む、
大きなきっかけになりそうである。

しかし、この本は、
どういう読み方をするかまで考えさせられる。

とてもじゃないが、
きちんと椅子に座って、
1つひとつの言葉を理解しながら、
ずっと読み続けられる小説ではない。

晩酌したあとのほろ酔い加減のときや、
風呂上りの牛乳をのんだあと、
寝る前の少しあいた時間に、
なにげなく読むのが、
私には向いているようだ。

あと、そうそう、
「ウェブ進化論」も、
「こちら側」と「あちら側」でしたね。

★5つ ★★★★★


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