企画・企画書のヒント−“なぜ”から考える77−なぜ、そこまで見通せるのか?
それは“なぜ”なのか、理由がわかることで、見えてくることがある。あたりまえと思っていることでも、“なぜ”当たり前なのかはわからないことがある。そんな“なぜ”を、日常の世界から探し、考えることで、企画や企画書づくりのヒントにしようというのが、このシリーズの趣旨。
しかし、この、“なぜ”のその探究には、著者なりの主観や直観、推測、憶測、感覚、本能、そして何よりも企画マンとしての資質が含まれている。なので、読者の方は、ここに書かれていることを簡単に信じないで、自分なりにとらえ、解釈、思考、分析してから、自分の意見として採用するように。
●なぜ、そこまで見通せるのか?
徹底することで、わかること、見えることがあるからである。
<見方>
当たり前だが、世の中には、いろいろな人がいる。なぜ、人には個性があり、これほど多様性があるのか。それは、同じ形のブロックを積み上げてももろいが、いろいろな形のブロックを組み合わせて積み上げればとても強固になる、ということと同じなのだろう。
それはともかく、いろいろな人がいる中で、この人はどうしてそんなことがわかるのだろうか、と思うことがある。
最近、読んだ本の中から引っ張ってみると、思想家と呼べばいいのでしょうか、老齢になってもまだ精力的な吉本隆明氏の言っていた「その作家の本を読むと、この作家は、毎日机に向かっているかどうかがわかる」というのがあった。例え、今日は書けないと思っていても、机に向っているか。書こうと思って、机に向かっているか。実際に書かなくても、机に向かっているか。が、わかるというのである。
かなり前の話では、元東京大学総長の蓮実重彦氏が、小説家の高橋源一郎氏のデビュー作を読んで「この人は、1949年生まれである」と言い当てたという話は、20年以上たっても、私の記憶にとどまる。
普通は、その小説を読んでも、その人が毎日机に向かっているか、その人は何年生まれかなどはわからない。それが、わかるためには、それがわかる特別の何かががあるとしか考えようがない。何かとは、臭覚というか、直観、本能といってしまうと、違う気がする。もちろん、超能力とか、そういうものではない。
それは、結局、あるところまで行くことによってわかることなのだと思う。徹底することでわかること。徹底することで見えてくることがある。ということである。細部に神が宿るということに通じるのかもしれない。だから、このように見通されてしまうことには、ある恐ろしさがあるのである。
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