企画・企画書のヒント−“なぜ”から考える76−なぜ、友達がいなくてもよいのか?
それは“なぜ”なのか、理由がわかることで、見えてくることがある。あたりまえと思っていることでも、“なぜ”当たり前なのかはわからないことがある。そんな“なぜ”を、日常の世界から探し、考えることで、企画や企画書づくりのヒントにしようというのが、このシリーズの趣旨。
しかし、この、“なぜ”のその探究には、著者なりの主観や直観、推測、憶測、感覚、本能、そして何よりも企画マンとしての資質が含まれている。なので、読者の方は、ここに書かれていることを簡単に信じないで、自分なりにとらえ、解釈、思考、分析してから、自分の意見として採用するように。
●なぜ、友達がいなくてもよいのか?
人は友達を作ることだけが目的なわけではないからである。
<見方>
凶悪事件が起こると、テレビのニュースなどでは、その犯人の学生時代などが調べられて「友達がいなかった」「いつも1人でいた」「暗かった」などの評価が下される。いかにも、友達がいないことが悪く、そのことが犯行の原因、ないしは遠因だったような言い方をする。
それは、どこのテレビ局のニュースもそうだし、どのアナウンサーもそうである。女子アナも、可愛らしく、そのことにうなずいている。その笑顔が、ますます、友達がいないことが悪のように思えてしまう。
確かに、友達が多いことはいいことである。いっしょに遊んだり、いろんなところに行ける。親しい人との会話は、人生最大の喜びであるという言葉もある。ときには、喧嘩することも、よい経験になる。
しかし、友達がいなくたっていいと思うのである。1人でできることは、いっぱいある。本を読んだり、映画を見たり、音楽を聞いたり、歌ったり、走ったり。最近なら、ゲームとか、インターネットとか。やることなんかいくらでもあるではないか。
そうやって、1人でいろいろやっているうちに、趣味ができて、価値観が創られ、いつかは友達はできるものである。忌野清志郎氏だって、かつて「わかってもらえるさ」と歌っていたではないか。
テレビで、よい大人みんなが、同じように友達がいないことを悪くいうから、世の中の価値観は、友達がいないことが悪いということになる。
そうすると、友達がいなくて素直な人は、友達を作るためにはどうするかということばかり考えてしまい、結局、上辺のテクニックに走る。ところが、そういうことについては、人はとても敏感だから、そういう人は結局、避けられることになる。だから、ますます、友達ができなくなる。その最悪の結果が、自分は不要な存在だと思い、存在感をアピールしたいがために行う犯罪に結びつく。
友達なんていなくてもよいのである。別に、友達を作るためにあなたは生まれてきたわけではない。あなたは、世の中をよくするために、自らの生を謳歌するために、生まれてきたのではないか。
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