生物には、その繁栄を達成するべく、
その動作や音、匂いなど、
異性を引き寄せるさまざまな仕掛けを持っているが、
人にとっての恋愛ほど複雑なものはない。
それは、恋している当人でさえも、
自分の想いが何なのかを理解できるものではないからだ。
ある詩で、人と人が引き合う力こそが引力である、
という言葉があったが、この本質こそが恋愛である。
そのため、一番感覚に訴えやすい音楽は、
恋愛を主題にするものばかりだし、
雑誌や小説、映画などで扱われるテーマとしてはもちろん、
サブテーマとしても恋愛はダントツのテーマとなる。
かくして、人はもともと仕組まれている恋愛と、
いろいろなところから感覚的に入ってくる恋愛ストーリーによって、
過剰なほどに素敵な恋にあこがれることになる。
人が惹きつけられるその魅力は、言葉でいい表せるものではない。
このとき恋愛は、その人の頭の中でおこるできごとである。
この人の頭の中でおこってしまう、
過剰なまでの恋愛感覚を、まず1つ目におさえておく。
ところが、恋愛は時間が経てばさめるものだし、
異性との関係は、この恋愛感覚だけで続くものではない。
結婚すれば、生活をともにできるかどうかのほうが重要になってくる。
もともと、オトコとオンナは違うものである。
それは、カラダも違うし、力も違う。
見方やとらえ方も思考方法も違う。
いわば、人という共通点はあっても、
本質的に違うものなのである。
しかし、人は他人に、自分と同じ考えや価値観を求めやすい。
ただ、もともと違うものなのだから、
異性に同じものを求めれば、そこで衝突が起きることになる。
そこで、人によって解釈や態度は異なるのだが、
違うことを積極的に認めたり、
違うのだとあきらめたりすることで、
その違いそのものを理解しようとする。
この違いをどういった形でもよいので認められるかどうかが、
付き合いを長く続けられるかどうかになってくる。
ただ、ここまでくると大抵は恋愛の話ではなくなってくる。
オトコとオンナの話であって、
つまり、異性間のコミュニケーションギャップの問題である。
ところで、昭和10年前後生まれの世代なら、
恋愛結婚だけでなく、お見合い結婚も多かった。
それでも、離婚する人が少なかったのは、
この異性間の違いを認識するという能力があったからではないのだろうか?
2つ目におさえておくこととして、
このコミュニケーションギャップを解決する能力を挙げておこう。
今、現在における非婚者の増加と、それによる子どもの減少は、
社会的、経済的なさまざまな要因があると思われるが、
1個人として考えてみれば、
1つ目の、頭の中だけで過剰なまでに膨らんだ恋愛感覚と、
2つ目の、コミュニケーション能力という問題もあるのではなかろうか?
実は、私の回りの何人かの人を見ていて、そう思ったのだが、
恋愛感覚の問題は、もっと深く考えたほうがいいかもしれない。
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