『世界共和国へ−資本=ネーション=国家を超えて』柄谷行人著を読む
著者の本を読んだのは、
15年ぶりぐらいだろうか?
読書を習慣にしていると、
気になって仕方がない本である。
「岩波新書 新赤版」というのも、
気になることに拍車をかける。
とはいえ、お盆だからこそ、読んだ本か・・・
(柄谷先生、ごめんなさいm(_ _)m)
読んでみると、
「相変わらず」と「さすがに変わったか」、
ということを感じる本になっている。
「相変わらず」という点は、
やはりというかマルクスの資本論の「価値形態論」が
ベースになっているということ、
「さすがに変わったか」というのは、
「理念」「人間」という言葉がでてくることや、
「ポストモダン」をさめた見方として相対化している点や、
「環境問題」「経済格差」など、
世界的な問題を解決しようとする姿勢にある。
価値形態(貨幣論)をベースにして、
「国家」「ネーション」などを論じ、
それを、世界的な問題として展開していくこの本は、
それ自体、世界の見方として新鮮な見方を提示できている。
さすがである。
実際「知的関心の高い層」にとって、
世界中の哲学者の優れた知見を動員しつつ、
それを著者独自に提示し直し、
世界観を構築し直すやり方は、
知的な関心を刺激する、
魅力的な見方を提示できている。
しかし、実際は、
この「理念」に向けて実現する道のりは、
はなはだ遠いような気がしてしまうのである。
それは、なぜか?
それは、著者が「揚棄」しようとする
「国家」や「資本」のとらえ方の問題である。
それらは、現実的には、
一般人にとって、「揚棄」するものでなく、
とても「魅了」させるものだからだ。
それも、とてつもなく、
「魅了」させられるものだからだ。
だから「揚棄」することなど、
ほとんどの人が考えることなどないのである。
結果的に、ほとんどの人が、
「国家」や「資本」に加担する。
それは、持てるものと持てないものという
「階級」には関係がない。
だからそれを成立させている
「隠蔽」という「奥深いところ」で考えても
理解されないのである。
「階級が下」の人にとってこそ、
今は「ロングテール」の時代だからこそ、
だれもが「自分こそ」「夢」という想いや言葉とともに、
魅了されてしまうのである。
それは、優れた個人(著者)の思考の範囲を
量的なレベルとして軽々と超える「力」をもつ。
しかし、これこそが、
この本にとっては「問題」なのである。
なので、この実際のとてつもない隔たりを、
隔たりとしてとらえていないことに、
この本の限界を感じるのである。
結局、著者は、どういう社会を実現したいのか、
ということがわかりずらいのである。
(多分、この本のほとんどの読者にとって・・・)
そして、65歳?という老年にさしかかった著者は、
一番何を大切にしているのか、
これからの人にどういうことを伝えたいのかということが、
ぜんぜん伝わってこないのである。
それでもあえて、この本の意義を私が提示すると
「考えること」だと思う。
さらに言えば「知的」であることかもしれないが、
そんな暢気な価値をもつ時代は終わっている。
ならば、本書は
もっといろいろな人に読まれるように、
「戦略」を考えるべきなのではないだろうか?
とは思うものの、
現代は、複雑すぎるのである。
この複雑すぎる現代を、
「資本」「国家」「ネーション」という位相でとらえ直す、
そのことだけでも、本書は意義深いといえるのであろうか?
しかし、あまりにも知的能力に優れ
経済的に安定的な位置にいる著者?だからこそ、
展開できる世界観という見方もできる。
あと、本の書き方の問題がある。
新書という本にもかかわらず
引用が多すぎるのである。
自分の言葉ですべて語ることはできないのだろうか?
引用を減らすだけでも、変わる。
それでも「異質な本」として、
読んでみる価値はある。
その「異質さ」をどうとらえるか・・・
読む人に、いろいろ考えさせる本であることは、
確かである!
わかりずらい書評になってしまったような気がするが、
やっぱり、そういう本でしょう。
★4つ ★★★★☆
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