検索

高度な検索
オンライン状況
6 人のユーザが現在オンラインです。 (4 人のユーザが WordPress を参照しています。)

登録ユーザ: 0
ゲスト: 6

もっと...
カウンター
今日 : 47
昨日 : 117
総計 : 869080

<< 平成電電「CHOKKA」申し込む
自社サイトのソリューションコンテンツをブラシュアップ >>

2005年4月4日(月曜日)

マスメディアとしてのテレビの限界

カテゴリー: - hagiri @ 16時00分41秒

ホリエモンのテレビ進出の話を議論する際に、
多くの識者たちの意見の元になる考えとして、
ライブドアは、
「マスメディアという公共的な責任をどれだけ持てるか」
という責任論から語られることが多いことに気付きます。

テレビほど多くの人が見ているメディアはないので、
そういった考えが当然出てくるのだとしても、
「公共的な責任」を今のテレビが果たしてるかどうかといえば、
テレビとは、もともと
本質的には、そのようなメディアではないのではないだろうか、
という疑問を提示したくなります。

テレビに「公共的な責任」があるということは認めたとしても、
それがテレビの本質ではないということです。

それは、NHKの職員が
経費を横領したなどというレベルの話ではないですし、
そもそも、企業の広告費として運営されているテレビだから、
という話でもありません。

要は、マスメディアとしてのテレビが、
どういう価値を視聴者、ユーザーに届けているか、
ということだと思うのです。

一見すれば、テレビは、
ニュースから、スポーツ、バラエティ、ドラマなど
さまざまな情報を提供しているように思われます。

ところが、よく見ていると、番組としての多様さはあっても、
それほど多様な価値を提供しているわけではありません。

テレビは何に価値をおいて情報提供をしているか、
ということを意識しながら見ていると、
テレビは意外なほど単純な価値感を提供しているだけなのです。

私から見て
一番単純な価値観であるフジテレビを例にとって、
見てみましょう。

フジテレビの提示している価値観は、
以下の3つになると思います。

・かわいい
「めざましテレビ」の「きょうのわんこ」や、
ニュースで注目してるスポーツキャラクターは、
ほとんど「かわいい」という基準で選ばれています

・おいしい
18時のニュースの特集では、
他局に比べてもかなりグルメ特集が多いように思います

・おもしろい
「笑っていいとも」のいろんなコーナーは、
単に「おもしろい」以上の意味はありません

番組自体はバリエーションはあるのですが、
おおむね、これらの価値に収斂されていきます。

テレビは、マスメディアなので、
人をマスでしかとらえないので、
人の最大公約数的な楽しみを提供する、
というしくみになっています。

だから、このような単純な価値観になっていくのです。

この3つの価値観が悪いわけではないのですが、
3つの価値観しかないのがよくないのです。

そして、これらの単純すぎる価値観をあなどって、
テレビばかり見ていると、
見ている側の価値観も単純になっていきます。

それは気をつけたほうがいいと思います。

かつて「一億総白痴化」という言葉がありましたが、
あながち、現在でも意味のない言葉ではありません。

テレビと私のことを言わせてもらえば、
10代の頃、いろいろな本を読み、
多様な価値がある、もっとすごい世界を知った私は、
テレビからじょじょに離れていきました。

そして、映画を見まくっていた20歳前後の時には、
同じ映像でありながら、
ドラマと映画はこれほど世界が違うものなのか、
ということを知りました。

「公共的な責任」あるメディアというより以上に、
テレビとは、そういう「価値観を提供する」メディアなのです。

ユーザーの側からだけでなく、
ビジネス的にテレビをとらえるときにも、
運営する側として「どのような価値」を提供するのか、
ということをベースにした議論のほうが、
もっと重要性が高いと思うのです。


企画書・提案書作成代行サービス

入札企画書・入札提案書作成サービス

パワポチラシ・DM作成サービス

<< 平成電電「CHOKKA」申し込む
自社サイトのソリューションコンテンツをブラシュアップ >>

29 queries. 0.055 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress

代表ハギリのBlog
Blogカテゴリー
Blogアーカイブ
Blog検索