いまだ大きな存在感があるのに、「さよなら」と言われてしまうのは、とても切ないものがあります。「さよなら」に感嘆符と「僕らのソニー」をつけているので、さらに切ないタイトルですが、実際、本書を読んでいると、どんどん切なさが込み上げてきます。
著者は、小学生の頃の自分とソニー商品との個人的な関わりから話を始めます。家電商品は生活に密着しますし、その中で、とりわけAVというのは感情的な部分とリンクするだけに、いろいろな思い入れをしてしまうものですが、そこにあったのが特徴的なソニー商品となると、思いも一層つのるのかもしれません。
私も、初めてのボーナスで初めて買ったミニコンポはリバティだったし(今だから言いますけど、当時、ビクターのミニコンポ・クリエーションV5の仕事をしていたにもかかわらず)、その後、CDウォークマンや8ミリビデオデッキなども購入したりしています。私は、ソニーファンではないのですが、強く惹き付けられてしまったのでしょう。
著者は、私より格段とソニーに個人的に思い入れがあるようです。であるだけに、出井体制以降のソニーのあり方に対して、切ない感情を持ちながら書いているような本になっています。
本来、プロの物書きであれば、冷静な目線で書くべきなのでしょうが、著者は感情的な部分を交えながら書いてみたかったという意図を感じる、そんな本になっています。
本書の記述に従って、一言で出井体制以降のソニーを分析してしまうと、ソニーの強みを活かしながら、ネットワーク時代に乗れなかったということでしょう。ネットワーク社会におけるソニーの「エレキ」のあり方を提示し、強みを活かし、実行しながら、ネットワークに乗るというやり方ができなかったのです。
大賀はネットワーク時代を読みきれず、出井はネットワークにこだわりすぎてソニーの本分であるエレキの強みを忘れ、ストリンガーにいたっては、モノづくりを軽視しているということが本書からは読み取れます。
ソニーの本分はメーカーであり、いくらネットワーク時代とはいえ、モノづくりに軸足をおいた事業を展開すべきであって、その軸がぶれ続け、現在に至っているということです。
会社の規模が大きくなりすぎてしまったという原因もあるようです。「ほかの人と同じことをしない」という独創性への志向は薄れ、多くの社員が食べていける売れる商品を作るという考え方への変化。そうなってしまうと、もはやソニーではありません。
トリニトロンで一世を風靡したテレビ事業も影が薄れ、ウォークマンが開拓した携帯音楽市場も、今やアップルに奪われてしまいましたが(今は、アップルの音楽ビジネスも定額ストリーミングサービスにおされていますが)、そうなった原因も本書を読むとわかるように思います。
製品、市場がどんどん失われ、そして、優秀な技術者たちまでが続々とソニーを離れていってしまいました。いろいろな意味で、本書の『さよなら! 僕らのソニー』というタイトルとおりになってしまったのです。
ソニーの社員や元社員、関係者、ソニーファンは本書をどう読むのでしょうか?
感情的にならず、ソニーをもっと客観的に見れる人にとって本書は、後継者選びの難しさ、時代を読み戦略を立てることの難しさ、そして、優秀な人の能力の限界という、いろいろなことを考えさせられるものになっています。
★4つ ★★★★☆
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