出かけるときはクルマで、クルマで行けるお店や場所に行き、クルマで家まで帰ってくる。だから、お店やどこかのスポットには人がいるが、道や街の中には人がいない。家→クルマ→家だから、外気に触れるのは、ほんのわずかなのである。
私の故郷、群馬県高崎市も、そんな地方都市になっている。高崎駅周辺には、かつての活気はなく、高崎駅を中心とした直径5キロほどのつながらない円の形で、郊外をぐるりと回る環状線沿いに、いわゆるロードサイドショップが並ぶ。環状線は、いつもクルマで混んでいるが、人通りなどほとんどない。
これは、1970年代以降、高度経済成長をねらう国、経済をひっぱる住宅産業、自動車産業の市場戦略、そして、家が欲しい、クルマが欲しいという個人の欲求という、国、産業、個人の3つの欲望が絡み合ってできた結果である。ロードサイドショップは、その派生物であるといえる。
こんな郊外道路をクルマではなく、自分の足で走っているのは、私以外にいないことはないが、たま〜にすれ違うだけである。言うまでもなく、ここは、人が走るところではなく、クルマが走るところなのだ。
こうして、地方都市に、人の姿がなくなる。こうして、匿名社会ができあがる。
現在の自動車不況も、世界的な景気後退の影響ばかりでなく、こういったクルマ社会の現状に対する人の態度という問題もあるだろう。若者のクルマ離れの1つの要因でもあると思われる。
人は、もっと太陽の下に出るべきであろう。そして、歩いたほうがよい。走ったほうがよい。そうしないと、ますます街や場所、土地の魅力が失われていく。街が魅力的なのは、太陽の下の道を人が歩き、集まり、楽しそうなおしゃべりをしていることがわかるからなのだ。
道路だって、クルマ社会を望んだとしても、人が走れる、歩ける、自転車が走りやすい道路にすればよいのである。そうすれば、いくら運動きらいな人類だって、少しは外に出たくなるのではないか。そうすれば、メタボだって減ることになる。
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