企画力とは何か? 企画力とは、世の中や人に対してプラスになることを考え、推進する力だと考える。そうだとすれば、それは、生命力、コミュニケーション力、情報力、直観力、洞察力、発想力、構想力、読書力、課題解決力、マーケティング力、創造力、企画書力、表現力、提案力、実行力、脳力などなど、いろいろな力の集合だといってよい。この前提で、企画力を高めるための考え方や実践について考えていきたい。
長距離を走るというのは、自分に自信をつける方法になる。20キロを走れるようになるだけで、自分でもできるんだという何か確固たるものを得ることができる。自分に自信がない人は、走ることから始めればいいし、自信がなくなったときには走ればよいのだ。
しかし、年中走っていると、好不調の波がある。そして、それ以前に気持ちの問題がある。大抵のパターンは、走り始める前に今日は走りたくないなと思う。そして走り始めるとゆっくりと走っていてもカラダが重いな、もうやめようかな、と思う。
そのまま走り続けてもカラダが辛いことは、大体走った回数の割合でいうと20%ぐらい。少し軽くなって、普通に走れることが60%ぐらい。カラダが軽くなって気持ちよく走れることが20%ぐらい。そんな割合だと思う。
こういう走ることの辛さ、普通さ、楽しさの割合は、正確には計算していないが、多分、日常生活の中で、辛さ、普通さ、楽しさの割合と同じようなものだ。走るのは、まるで人生なのである。
気持ちよく走れることの20%ぐらいの中の20%ぐらいかな、つまり、走ったときの5%ぐらいに、いわゆる「ランニングハイ」に近いような気分になることがある。ランニングハイというのは、走ることにおいて感じられる高揚感である。自分の走る力が、自分が持っている力以上に引き出される感覚。自分が自分から抜け出してしまったような感じ。
テレビのマラソンを見ていて、トップを走っている人を見ていると、その走りの軽さは、「ランニングハイ」状態だな、と感じることが多い。いつも息切れしない程度で走っている私だから、体力がある10代、20代の頃のようなすごい高揚感はないが、それでも、気持ちいい〜というような感覚を持てるときがある。この感覚は、癖になる。
長期間走り続けるというのは強い動機が必要であり、私の場合は実は頭蓋骨の中で脳を揺らすためという肉体的物理的な理由がある。しかし、この理由だけで走り続けるのは難しい。走ることの高揚感は、この強い動機を強くサポートするものなのである。動機が強くても、人間としての欲求がなければダメなのである。
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