それは“なぜ”なのか、理由がわかることで、見えてくることがある。あたりまえと思っていることでも、“なぜ”当たり前なのかはわからないことがある。そんな“なぜ”を、日常の世界から探し、考えることで、企画や企画書づくりのヒントにしようというのが、このシリーズの趣旨。
しかし、この、“なぜ”のその探究には、著者なりの主観や直観、推測、憶測、感覚、本能、そして何よりも企画マンとしての資質が含まれている。なので、読者の方は、ここに書かれていることを簡単に信じないで、自分なりにとらえ、解釈、思考、分析してから、自分の意見として採用するように。
失敗するかもしれない緊張感が、人を魅了するからである。
<見方>
浅田真央さんが、世界フィギュアで、転倒したにもかかわらず優勝した。「何があってもあきらめてはいけない」という評価は、テレビの解説者ならだれでもしていたし、でも、それを真央さんのように行うのは難しという考え方も、簡単にできる。
フィギュアスケート、特に女子のフィギュアスケートが人気なのは、華があるからだろうが、その華というのが、常に、いつも、すぐに、失敗と隣り合わせという大きな緊張感があることが観る人を魅了する。
この緊張感は、フィギュアの華であるジャンプのシーンで最高点に達する。それを前半、中盤、終盤と分けて組み込み、演技に盛り上げを作る。練習でも成功する確率は100%ではないのに、それを本番で、それも全編にわたって成功させられるか。
観客は、自分のことのように「失敗しないように」と念じながら見ている。だから、ジャンプが失敗すると会場から「ああ」という集団的なため息がもれる。きっと、テレビを見ている世界中のため息を合わせたら、ものすごいため息になるのに違いない。
演技の時間は、とても長く感じる。もっと、この可憐な舞いを見ていたいと思いと裏腹に、早く終わってほしいと思う。転倒しないで演技が終わると、ほっとする。この重圧を、10代の女の子が引き受けていることが、余計、演技に引き込ませる。そして、観ている人のほとんどが演技者より年上の人であろう、自分も経験するかもしれない失敗をどこかで感じているだろうと思う。
フィギュアスケートの魅力は、この失敗と隣り合わせの緊張感である。フィギュアスケートの、この緊張感は、ほかのスポーツと比較しても、ずば抜けている。この緊張感を味わいたくて、ついつい見てしまう。
そして、前半に致命的と思われる失敗をしても、最後まであきらめずに、それ以降完璧に演技をして優勝してしまう真央さんに感動させられてしまう。奇跡は起こるかもしれない、という思いとともに。
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